最高裁判所第二小法廷 平成8年(行ツ)57号 判決 1997年11月14日
京都市伏見区醍醐御陵東裏町三八番地の五
上告人
出野武
右訴訟代理人弁護士
岩佐英夫
吉田眞佐子
京都市伏見区鑓屋町無番地
被上告人
伏見税務署長 藤本繁光
右指定代理人
大竹聖一
右当事者間の大阪高等裁判所平成四年(行コ)第四七号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成七年一一月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岩佐英夫、同吉田眞佐子の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、若しくは独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の裁量に属する審理上の措置の不当というものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)
(平成八年(行ツ)第五七号 上告人 出野 武)
上告代理人岩佐英夫、同吉田眞佐子の上告理由
第一点
原判決は、本件各係争年における山科店及び石山店の経営者を上告人であると認定し、また、その結果、北川に対する貸倒損失を特別経費として認めず、さらには、上告人の主張する利子割引料を特別経費として認めていないが、これは、採証法則、経験則違反があり、これに基づいた事実認定の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、畢竟、審理不尽、理由不備ないしは理由齟齬の違法があり、原判決は破棄を免れない。
一 山科店の上告人からの独立性
1 原判決は、上告人が「本件訴訟に先立つ別件訴訟において、昭和五四年三月二八日付準備書面で、昭和四九年六月一〇日開店にかかる山科店は控訴人の経営する店舗である旨主張している(乙一〇六)。」としている。しかし、上告人は、昭和五四年三月当時の記憶では、上告人が杉森貞夫に山科店の営業権を譲り渡したのは昭和五〇年一月であると思っていたが、その後本件訴訟の控訴審になり、杉森貞夫の所持していた甲第一四一号証が提示されたため、杉森貞夫の主張するとおり昭和四九年一一月であることを思い出したのである。
また、本件訴訟は、昭和五四年一月一日以降の山科店経営者が問題となっているものであり、正式譲渡が昭和四九年一一月という主張が別件訴訟での主張と一部矛盾するという事実によって、昭和五四年一月一日以降の経営者が上告人であるという証拠になるはずがない。
2 原判決は、甲第一四一号証について、「醍醐店と石田大山店の両店が併存した期間はないのに、右石田店閉鎖後二年も経過した昭和四九年一〇月二一日の作成日付のある甲一四一に併存しない双方の店名がゴム印で押捺されていて不自然である」としている。
しかし、甲第一四一号証の「石田店」の電話番号は、「〇七五-五七一-二八〇六」であり、これが、上告人の主張する石田大山町の石田店に設置されていたものであり、上告人が昭和五六年一月以降経営していた石田ショッパーズプラザ内の「石田店」とは異なることは、甲第一五九号証により明らかである。では、醍醐店と、併存したことのない石田大山町の石田店がなぜ一つのゴム印に表示されていたか。これは、上告人が「文星堂」という同一屋号の店舗の数の多さを外部的に示すために用いたにすぎないと考えれば矛盾なく説明できる。実際に、上告人は、山科店、石田店以外にも、上告人の経営でないことが本件第一審判決で認定された壬生店、大久保店についてもゴム印に列記しているのである(乙第三一号証の五昭和五七年分給与証明書)。
従って、むしろ、上告人の使用するゴム印に昭和四六年七月に閉店した石田大山町の石田店の表示があるということは、それに接近した時期に作成された文書であることを示すものといえるのである。
3 原判決は、「杉森証言によるも、山科店購入資金の捻出及び甲第一四一記載の金額以外の残額金の支払いを示す証拠は他に存しない」としている。しかし、杉森証言では、「領収書に代わってハヤマというダイコーショップの人の作成名義の権利証の領収書みたいなものがでてきました」(原審第七回口頭弁論杉森証言六九項)「出野がハヤマという人から貰った領収書をそのまま、私が貰ったということですね。権利金については、それで領収書の代わりにするという意味でした」(同七二項)とあり、甲第一四一号証以外に一八〇万円の支払を示す証拠はここにある。また、開業資金は、「田舎の土地を売った金」(同六六項)と証言しているのである。
4 原判決では、「京都信用金庫山科支店の(杉森貞夫の)口座には、本件係争年の後にガイコーショッピングセンター商人会の金券が振り込まれている」とする。しかし、まず、昭和五八年八月以降にこのような事実が確認できれば、少なくともこの時点では山科店の経営者が杉森貞夫であることが明らかというべきものである。そして、昭和五八年八月時点でも、大阪屋との取引名義が上告人であるという事実は本件各係争年と同じである。
5 また、原判決には、「その記載内容に照らして右口座が山科店の日々の売上や支払いのための入出金等に利用されたものとは窺われない。」とするが、それは確かに首肯できる(原審第六回口頭弁論杉森証言三五項)。しかし、この時点では、杉森貞夫は、自分名義で店舗兼居宅を購入し(昭和五八年七月、甲第三七、三八号証)、昭和五九年一月右建物に「文星堂山科店」を移転したという客観的事実がある。それを原判決は無視しているのは大きな問題である。
6 原判決は、杉森証言を細々と指摘して、杉森貞夫が山科店の経営者ではないとする。
しかし、<1>「杉森が、賃借店舗である山科店の契約名義を控訴人のままとした」のは、名義書換料を節約するためであり、それは上告人及び杉森双方がその旨明言している。賃借店舗では、このような形で権利譲渡がよくなされることは公知の事実である。
<2>杉森が「家主と上告人との間の賃貸借契約書を見たこともなく、その内容を知らないでいた」というが、ずい分昔のことであり、契約書を見たかどうか記憶が定かでないだけかもしれないし、実際に家賃については、当該家賃を杉森が直接商店会に払っていることを証言しているのである(原審第七回口頭弁論杉森証言一一九、一二〇項)。
<3>杉森が「文具の仕入先に杉森が店を経営していることを告げたことはない」というが、それは、零細自営業者の場合、誰が法律上の経営者かは正常な取引がある限り余り重要ではなく(たとえば、妻が経営者か夫が経営者かは内部的事情であり、外からはわからないことが多い)、「屋号」で取引することがほとんどだからである。あえて杉森が、「私が経営者である」という発言もなかったのである。しかし、実際上商品の仕入や決済は全て杉森が自分で判断してやっていたのであり、文具の仕入先は外見上も「文星堂山科店こと杉森」と見ていたはずである(原審第七回口頭弁論杉森証言一四一項)。ただ、取引先にとっては、重点は「屋号」にあり、従って、杉森の法律上の地位については、余り関心事ではなかったとしてもやむを得ないことである。
<4>原判決は、「杉森は、昭和五八年一二月に沢村に店の権利を売却したというものの、その代金の記憶はなく、沢村の住所も知らないし、家主に右事実を告げたこともない」という。しかし、杉森は、おおよそ四〇〇万円位であったことは証言しており、また、沢村の住所も正確には覚えていないだけで、「小野の方」という範囲では覚えている(同証言五二ないし五八項)。一〇年以上前の店の売主が買主の正確な名や住所を覚えてなくても何の不思議もない。家主に右事実を告げなかったことは、名義書換料節約のためであり矛盾しない。
<5>「書店経営者が通常は会費を納入する筈の日本書店連合会や京都書店協同組合を知らず、その会費を納入したこともない」というが、杉森は、取次会社との関係で上告人の名義を借りることにより、信認金や不動産担保も必要とせず、また書店組合に加盟しなくても、また同意を得なくても、書店を開店できるというメリットを得たのである。従って、これらに会費を納入しなくてもあたり前である。また、杉森は、昭和六二年三月より大阪屋と直接取引約定書を交わしているが、その後もこれらの組合等に加入していない。事実上の組合加入強制は、独占禁止法との関係で問題だと指摘する声が高まり、加入しない自由も昭和六〇年前後からはあるのである。
7 原判決は、杉森は、別件事件において、陳述書(乙一〇七)において、昭和四九年一〇月一日から上告人に雇用されて山科店に勤務し、給料一〇万円を支給されていた旨記載していることを指摘する。
上告人及び杉森は、本件訴訟においてこれと異なる証言をしている。従って客観的にどちらが事実かという観点から検討すべきである。
8 原判決は、上告人の人件費台帳(甲一三)に昭和五四年一月から昭和五五年三月まで、上告人が杉森に対して給料を支払ってきた旨の記載が存することを指摘する。これについては、本件訴訟において、上告人は、「醍醐店を手伝ってもらった分」と証言している(原審第一一回口頭弁論本人調書六五項)。独立経営者であっても自店閉店後、上告人の経営する店舗を手伝い、その分の給与を受領することは何ら矛盾しないことである。
9 原判決は、以上のように大きく分けて、
<1>別件訴訟における上告人の主張、<2>上告人の作成したゴム印、<3>杉森証言、<4>別件訴訟における杉森陳述書、<5>上告人の人件費台帳をもとに、山科店の経営者は杉森であるとの主張を認められないとする。しかし、右<1>ないし<5>は全ていわゆる「客観的証拠」ではない。それ自体思い違い等が入り込み易く、またいく通りにも解釈の余地がある場合もあるいわゆる「主観的証拠」である。
上告人は、当時の「客観的証拠」を懸命に探した。それが、
<1>杉森が、昭和五〇年八月二一日に、山科店の電話番号として表示された電話加入権を「グレートデン」から購入して以後それを一貫して使用してきていること-杉森所有の店舗兼居宅に昭和五九年一月に移転(甲第一五九号証)
<2>杉森が昭和五〇年七月三日に山科店向かいにある京都信用金庫山科支店に口座を開設したこと(甲第一六〇号証)
<3>右口座には、昭和五八年八月以降ダイコーショッピングセンター商人会の金券が入金されていること(甲第一四四号証)(-当時、大阪屋との取引名義が上告人であったことは、本件各係争年と全く同じである)、
<4>昭和五八年七月に杉森名義で店舗兼居宅を購入し(甲第三七、三八号証)、
<5>杉森が昭和五八年一二月二七日に国民金融公庫から自営業者として融資を受けていること(甲第一六二、一六三号証)、
山科店が上告人の経営であるとすれば、右客観的証拠はどのように説明されるのであろうか。
<1>単なる従業員が、店の電話加入権を自分名義で購入することは経験則上あり得ない。
<2>単なる従業員が勤務先店舗の向かいに自分名義の口座を開設することはまれにはあり得るかもしれない。しかし、従業員が自分名義の口座に商人会の金券分を入金させることは経験則上あり得ない(もし、このようなことをすれば、横領罪に該当する)。
<3>ましてや、単なる従業員が、自分名義で購入した店舗権居宅に店自体を移転したり、自営業者としての融資を国民金融公庫から借り入れることは経験則上あり得ない。
ところで、確かに、上告人が客観的証拠としてあげる右金券の事実や店舗兼居宅購入の事実、融資の事実は全て本件各係争年より後に発生している事実である。しかし、このような事実のあった時期(昭和五八年七月から昭和五八年一二月)も山科店はダイコーショッピングセンター内にあり、大阪屋との取引名義は上告人であった。本件各係争年と何ら外見的事実はかわりはない。
しかも、電話加入権については、昭和五〇年から杉森名義であったのである。従って、両者あいまって、本件各係争年における山科店の経営者が杉森であることを客観的に裏付けるのである。
10 さらに、大阪国税不服審判所は、昭和五七年一月一日以降杉森を独立経営者と認定しており(甲第一三六号証)、それより前も同一場所、同一業務形態であったことからして、これと別異に解することは経験則に反する。
11 以上より、主観的証拠ばかりを取り上げ、客観的証拠の証拠価値を無視して山科店を上告人経営と認定した原判決は、採証法則、経験則違反があり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。
二 石山店の上告人からの独立性
1 原判決は、上告人は「二八〇万円で北川に店の権利を譲渡したというものの、当時北川は無一文であったため、そのうち一〇万円の支払を受けたというのみである」とする。上告人はもちろん、全額を北川から回収できるつもりであったが、たまたま北川から回収できなかっただけである。むしろ、石山店が上告人経営であれば、今になって「二八〇万円のうち一〇万円しか受領していない」などと申し述べるはずもない。
2 原判決は、「開店に際しての商品の仕入れや準備に要する費用を含めて控訴人が提供し」とする。しかし、これは事実に反する。本棚等の備品や商品仕入代金は全て大阪屋の請求に含まれており、これを北川が毎月の売上から小分けして月々支払っていたのである(原審第八回口頭弁論北川証言一〇二~一〇六項)。
3 原判決は、「名義の書換料の支払を言われたら困るとの理由で店の賃借名義も控訴人のままとし」とする。しかし、これは、名義書換料節約という合理的理由が存することは繰り返し述べているところである。
4 原判決は、「仕入先の大阪屋との取引は控訴人名義でなされていたため、控訴人は大阪屋に対する北川の支払遅滞分約六〇〇万円を肩代わりした」とする。これは、大阪屋との取引名義を北川に貸したことの法的結果であり、やむを得なかったことである。原判決は、ここで「控訴人が肩代わりした」といい、主債務者即ち、石山店の経営者が北川であったことを認定している。しかるに他方で、原判決は、上告人は「北川からその肩代わり分約六〇〇万円の支払を受けないまま現在に至っている」として、北川が経営者であることを否定しているが、これは明らかに理由齟齬である。
5 原判決は、「人件費台帳(甲一三)には控訴人の北川に対する昭和五五年一一月、一二月の給与支払の記載がある」とする。しかし、上告人は、この「北川」は北川の妻であると述べているのに、なぜ原判決は、北川武史本人と考えるのか全く不明であり、理由不備である。百歩譲って、万一、北川武史本人であったとしても、昭和五五年一一月、一二月分だけである。それ以外の本件各係争年には人件費支払いの記載はないことに注意すべきである。しかも、むしろ、この時点では藤本氏に石山店の経営権が移転しているのである。石山店が上告人の経営する店舗であるとは全くつながらない。
6 原判決は、「滋賀銀行石山支店寺辺出張所の北川の普通預金口座から窺われる入出金状況(甲一八一、乙一一〇)や北川証人の供述」から「右預金元帳の記載内容をもってしても北川が石山店の独立の経営者であることを示すものとはいえない。」とする。しかし、甲第一八一号証のような一回に五〇万円、六〇万円と動くような預金の動きは単なる書店従業員であるなら考えられないものである。
7 原判決は、「藤本は、石山店の権利を購入するための資金として四〇〇万円を叔父から借り、半分くらい返したというものの、その金額を覚えていない上、残金について現在に至るまでその返済をしていない。」とする。
しかし、親戚の間でそのような貸し借りをすることは経験則上あり得ることである。
8 原判決は、「藤本が仕入代金として大阪屋に支払ったとする金額と大阪屋の回答による文星堂外商部の決済状況とが合わないものがあるところ(甲一三三、乙六〇)、これにつき同人は、控訴人を通じて決済していたので分からない旨供述するにとどまっている。」とする。これは、上告人を通して支払っているのであるから、上告人が金額的に操作することは可能な立場であったことは否めない。しかし、だからといって、単なる書店従業員が当座預金を有し、自己名義の小切手で本代を決済したという事実が消えてなくなるわけではないのである。
9 原判決は、「藤本は、京都書店協同組合や日本書店連合会の名前は聞いたことがあるものの、右組合等に対し会費等を納入したことはないという」とする。しかし、これについては、杉森について述べたのと同様、藤本が上告人の名義を取次会社との関係で借りたことによって得たメリットである。また、昭和六二年七月より藤本が大阪屋と直接取引約定書を交わした以降も加入していないのは、その頃には独占禁止法との関係等指摘されるようになり、書店組合等に加入しない自由があったからである。
10 以上、原判決のかかげる証拠は、全て、見る角度により解釈が異なり、思い違い等の入り込む余地のある主観的証拠ばかりである。
上告人は、石山店の経営者が北川ないし藤本であった「客観的証拠」として、
<1>石山店の電話番号の名義が昭和五一年一〇月二七日以降同五五年一〇月一九日までが北川、同月二〇日以降は藤本である事実(甲第一五八号証)。
<2>藤本名義の小切手により本の代金決済がされていること(甲第一三二、一三三号証)。
<3>石山店が一貫して存在しているにも関わらず、昭和五五年一〇月より石山店への送本がストップし、同じ頃より新たに「外商部」という「窓口」が設けられ、本の配達が開始した事実(甲第一五六号証の一ないし六、乙第四八、五四、六〇号証)。をあげている。
北川や藤本が単なる従業員であれば、右<1>~<3>をどうみるのか。右<1>~<3>の事実からは、経験則上、北川、藤本が独立経営者であり、上告人の主張するような北川から藤本への経営者の交替があったという事実しか導き得ないのである。
11 さらに、大阪国税不服審判所は、昭和五七年一月一日以降、藤本を独立経営者と認定(甲第一三六号証)しており、それより前も、同一場所、同一業務形態であったことからして、これと別異に解することは経験則に反する。
三 北川武史に対する貸倒れ損失について
原判決は、北川武史が石山店を経営していたとは認めがたいからという理由で、同人に対する上告人の貸倒れ損失の主張を採用できないとしている(原判決一三丁裏)。
しかしながら、本上告理由書第一点二で詳細に述べたように、石山店は上告人の経営ではなく、北川武史は独立経営者であることは明らかである。
従って、北川が独立経営者である以上は、同人に対する貸倒れ損失も当然特別経費として認定すべきである。
この貸倒れ損失の発生の経過、内容については、原審控訴人準備書面(六)一、2、において証拠に基いて具体的に主張している通りである。
四 利子割引料について
1 この点についても、原判決は、「利子割引料の基礎とされる借入金が事業の用に供されたものであるかどうかは明らかでなく、右利子割引料の金額の算出過程も明確でない」として、利子割引料の有無及び特別経費該当性を基礎づける事実を認めることはできないとしている(原判決十三丁裏)。
2 しかしながら、これらがいずれも営業用資産として借り入れたものであることは、甲第一九三号証からも明らかである。
また、甲第七号証の二ないし五や甲第一八八号証でわかるように、これらの貸付けは「手形貸付」として貸出されているものが含まれている。
少なくとも、手形貸付は、市中の高利貸しならいざ知らず、銀行の場合、事業者に対する貸付けであることは、経験則上公知の事実である。(例えば、住宅ローンの貸付けで手形を発行したりすることはない)
国民金融公庫や府民信用組合は、運転資金の借り入れ申込みをすると営業所まで確認にきて貸付けるのである(甲一九三号証)。
伏見信用金庫(現在は、名称変更により京都みやこ信用金庫)の借入れに対しては醍醐店の土地建物が抵当に入っている。こうした事実からいってもこれらの借り入れが事業用であることは明らかである。
(三)しかるに、原判決はこうした常識、経験則を無視して事業用借入れの事実を否定し、利子割引料の特別経費を否定したのは採証法則、経験則違反がある。
第二点
一 原判決が甲第一九〇号証(「全国小売書店取引経営実態調査報告書」)を何ら合理的理由を付さず、排斥したのは理由不備の違法がある。
1 上告人は、控訴人準備書面(六)において、売上原価率として八一・二%を主張し、その裏付けとして甲第一九〇号証を提出した。
しかるに、原判決は甲第一九〇号証について「右報告書から窺われる、調査の目的、方法、対象者、回収率や回答内容等に照らせば、同記載にかかる荒利益が正確性の担保された資料に裏付けられた客観的な数値であって、かつ控訴人との類似性が担保されているものとにわかに認め難いことからして、右控訴人の主張は採用できない。」と述べて控訴人の主張を採用しなかった(原判決十二丁表~裏)。
そして、被上告人の主張する同業者率を採用したのである。
2 しかしながら、被上告人の主張する「同業者」なるものは、住所も氏名も全くわからず、その決算書も提出されておらず、その存在すら上告人側では確認できず、その内容についての真否を確かめる反対尋問の機会も全く与えられていないものであり、証拠としての価値は全くないものである。
仮に万歩譲って、右の根本的問題点を措いたとしても、本件の場合には上告人の経営店舗数という問題がある。
すなわち上告人の経営する店舗は醍醐店と小栗栖店だけである。
従って、被上告人が主張する「同業者」ABCを検討するとしても、そもそも、売上規模が全く異なってくるのであり、「同業者」としての条件を欠如していることは明らかなのである。
3 推計方法が二つ以上ある場合、いずれの方法を選択すべきかの選択基準については「所得金額を推計認定する方法が、二以上ある場合には、その推計の基礎となる間接資料のうち、より直裁、具体的な、換言すれば直接資料に近いものを基礎にする推計方法を採用すべく、この点に差異のない場合は、得られた数額の低いものによるのが認定の法則上妥当とされる所以である」とされている(大阪地裁昭和三八年二月五日判決、税務訴訟資料三七号一一六ページ)。
また、大阪高裁昭和六一年四月三日判決(税務訴訟資料一五二号一ページ)は、「所得の推計は、当該事案において得られた資料を基礎として実額に近似する所得を推計する算出方法であるからその性質上、絶対的な合理性を要求することはできず、一応の合理性が認められれば足りるというべきであり、この場合、他に一応の合理性が認められる推計方法が存在し、この方法による方がより実額に近似することが証明されるされる場合、少なくともこれと課税庁の推計方法を比較してそのいずれが合理的であるか、より実額に近似するかどうかが不明な場合であれがともかく、そうでない限りは、その合理性を肯定しうる」としている。
しかして、本件の場合、被上告人の推計方法は、そもそも、経営店舗数の前提が全く異なっているので、同業者選定の際の売上金額の基準も全く上告人の実態からかけ離れたものになってしまい、こうした基準で選ばれた同業者は、上告人の所得を推計するための基礎資料としての条件を欠如している。
これに対して、甲第一九〇号証の統計は、完全無欠ではないにしても、全国の七〇二一件にも及ぶ多数の小売書店に対する調査であり、その調査規模、回答率からいって非常に信頼性の高い客観的資料である。
その調査方法や項目も、支店の有無、立地環境、従業員数等多面的な角度から分析している。
こうしたファクタを考慮すると、上告人は、醍醐店、小栗栖店、石田店(但し、昭和五六年分のみ)の二ないし三店舗を経営し、その店舗面積(五坪ないし一五坪)等からいっても、甲第一九〇号証の分析からみれば、荒利益は平均程度とみるのが妥当である。原審控訴人準備書面(六)は、甲第一九〇号証の中から、上告人との条件が近似するファクタを分析して、荒利益の推計を主張したのである。
上告人のこの推計の主張は、選定基準に根本的な欠陥のある被上告人の同業者率による推計よりは、はるかに合理的であり、前述の判例の考え方からいっても、当然この推計主張を採用すべきであった。
しかるに、原判決は何ら合理的な理由を示すこともなく、甲第一九〇号証を排斥した。これは理由不備の違法がある。
第三点 原判決には審理不尽の違法がある。
一 原審の控訴人準備書面(一)四(16頁以下)、同控訴人準備書面(二)、同控訴人準備書面(三)、六(13頁以下)等で主張しているように、控訴人は自らの経営する店舗(醍醐店、小栗栖店)における小売のほかに、甲第二号証記載の各得意先にスタンド卸しを大規模に行っていた。
小売価格は、定価販売であるが、スタンド卸しの場合は、通常の小売定価の八五%ないし九〇%価格で卸売りしていた。従って、スタンド卸しの部分については、小売販売に比較して一〇ないし一五%も利益率が低下するのである。
昭和四七ないし四九年分に関する所得税更正処分取消請求事件(第一事件)の京都地裁判決(甲第一四六号証)、同大阪高裁判決(甲第一四七号証)においても、上告人がスタンド卸しをしている事実を明確に認定し、且つ、スタンド卸し先の手数料(マージン)は、一〇%あるいは一三%と認定しているのである。これらについては、被上告人も個別スタンド卸先について独自に調査し、スタンド卸しの利益率の認定をしている(甲第一四六号証別表七)。
このように、上告人についてスタンド卸しが客観的に存在すること、スタンド卸しのマージンは一般の小売に比べて格段に低いことは、裁判所も、そして被上告人伏見税務署長自身も認めていた事実なのである。
そして、本件係争年に関しては、上告人は、この卸し売り部分が昭和五四年度分が一〇八二万八六二円(全体の総収入金額の八・五八%)、昭和五五年度分が二五一九万五〇五円(全体の総収入金額の一九・二八%)、昭和五六年度分が四二〇五万七九二円(全体の総収入金額の三〇・七四%9)も占めているのである。
二 従って、これらの事実が裁判所によって正しく認定されれば、上告人の経営店舗数の問題と相俟って、原処分が取消される結果になることは、原審の控訴人準備書面で詳細に主張している通りである。
上告人についてスタンド卸しが存在するという客観的事実と、スタンド卸しのマージンが一般小売に比べて大幅に低いことは、裁判所も被上告人すらも認めているのであるから、この問題に関する立法の中心的テーマは、各卸し先に対して本件係争年度において実際にどれだけの卸しがなされていたのかという点になることは明らかである。
この点に関して、上告人は、川那辺三千代(甲第二号証のみどりや関係)、稲泉静枝(同コメット関係)、畑中京(同畑中商店関係)、谷口博正(同谷口商店関係)、畑山仲子(同畑山商店関係)、矢吹孝(同京美堂関係)、田中寿徳(同マイショップ関係)、岩田正人(同岩田書房関係)を証人として申請した。
これらの証人は、全員が重要であることはいうまでもない。先述のように、これらの証人の証言事項は、原処分取り消しにつながる事実の直接的な証拠である。
上告人は第一審において、甲第二号証の帳簿を証拠として提出した。
しかしながら第一審判決は、スタンド卸しについては甲第二号証を全く無視した。
そこで上告人は控訴審において、スタンド卸しの事実をさらに詳細に具体的に主張するとともに、スタンド卸しの存在、金額を直接的に立法する方法として、前記八人の証人を申請したのである。これらの証人の必要性についても一九九三年五月一九日付証拠の申出および控訴人準備書面(二)において主張した。
こうした経過からすれば、原審は当然これらの証人を全員採用し、その結果を含めて判断すべきであった。
しかるに、原審裁判所は驚くべきことに、これらのスタンド卸しの関係の証人を全員却下したのである。
甲第二号証や、あるいは、控訴人がやむをえず次善の策として提出した各スタンド卸し先の陳述書(甲第一五一号証、甲第一六八ないし一七〇号証)について、証拠価値を認めて一定の見直しをするというのであれば、証人申請を却下するというのも理解できないわけではない。
しかしながら、原審裁判所は、甲第二号証も、控訴審で提出した陳述書についても「にわかに措信し難い」「採用し難い」としたのである(原判決十一丁裏~十二丁表)。
甲第二号証や陳述書に対してこのようなことをいうのであれば、少なくともそれに関する証人を直接尋問し、反対尋問にもさらして、事の真相を見極めるというのが当然ではないであろうか。
これらの証人は、間接事実に関する証人ではなく、判決の結果に直接影響を及ぼす事実に関する重要証人なのである。
真実を追求し、納得のいく審理を尽くすべき裁判所としては、当然これらの八人の証人を採用すべきであったことは明らかである。
以上の通り、原判決には、判決の結果に影響を及ぼすことの明らかな審理不尽の違法がある。
以上